肥大化したプライドと就活と負け
2026年6月8日、UFJのオープンの最終を受け、私の就活は終了した。 約半年間であったが、本当にしんどくてつらくてうんこみたいな日々であった。 毎日泣きそうで胃がキリキリしていた。 本当に終わってよかった。 私は中高のコミュニティやくのちゃんが好きでそのコミュニティは東京にあって、そして東京からなんとなくでたくなくて、故に転勤ありきのメガバンのオープンに行くことはないと思っていたが、キャリアが広がりそうなのはデベより金融だと思ったので、一応受けようと思い、集大成として臨んだが、普通に遅刻してしまった。 こういう詰めの甘さが、自身の人生を物語っている。 なんていう余談はさておき、本題に入ろう。 と思ったが、なにが本題なのかはわかっていない。 それは自身の今後の人生に対する解像度が低いが故に、なにを求めてどう優先順位をつけて就活をしてきたのかが不明確で、だからこそなにがいいたいのかよくわかっていない。でも自身が就活中に感じた想いをとりとめなく残せるこの時期に、ここに残しておこうと思う。 僕はミーハー就活だった。 流石に就活をしなければならないと思い、2026年の正月に、なんか都内・高給・社格の高さからMMのESでも出すかーと思ってほとんどチャッピーに書かせたESを花田に見てもらったら、そもそも何を考え就活するのかみたいな根本のところを聞かれなにもわからず、そこを見つめながら、結構時間をかけてMMのESを書いた。花田にはめちゃくちゃ親身に添削してもらった。ありがとう。が、別に今も自分が何をだいじに生きていたいのかなどわかっていない。 MMの結果は地所が書類落ちで三井不が1次落ちだった。 地所は確かTg-webだったのだが、Tg-webとはなんぞやという感じで、解答集などを集める友達もやる気もなく、なんか東大ですよ私は(二浪)という自信で普通に落ちた。こういう解答集を集めるコネクションを作りに行くとか、テスト対策に時間をかけるとか、そういうセンスが欠如しているのが就活力として終わっている。というのに振り返って気づく。 ちなみに地所書類はだれでも通るということを知って絶望した。 三井不はなぜか書類が通ったが、 御社と言わなくてはならないのに、ミツイフは〜とかいって落ちた。 普通に実力不足であり、準備不足であったのは明確だったのだが、 当時の新井青年は、頑張って東大に入ったの...